陰暦6月2日の未明、信長は光秀によりこの世から去り、
遺骨がないなど、いまだ定かでない400年ほどの前の歴史の謎が
今年も語られるのでしょう?京都の阿弥陀寺の門には、「織田信長公本朝」石碑があります、知恩院近くの、白
川沿いにも、光秀の首塚もあります、6月1日、本能寺では、お茶会が開かれていました、その頃の茶道は武士
や貴族のステイタスの表れであり、本来の茶道の精神性に、利休も色々葛藤していた時期でありました、
今日は雨雲も見られず、穏やかな日に
白い桔梗(光秀の家紋)と一服で、何百もの命の冥福を祈りたいと思います。