信長の434回忌が執り行われた・・

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


1582年の本能寺の変は六月二日の未明に起こりました。

諸説ありますが、

織田家の坊守の清玉上人が事件を知り、本能寺に駆け付けました。

信長の「自分の首を明智光秀に渡すな」言葉どうり、家来の武将が

遺体を燃やしました。

上人は、その遺骨を衣の袖に隠し、急いで

自分の寺の阿弥陀寺に持ち帰りました。

その後、秀吉が遺骨を渡すように寺に訪れ、言いましたが、

断じて渡さず、自分お寺で供養し、お墓も建立しました。

今日は、434回忌の法要の日で、

少し汗ばむ本堂に響く読経とお香の香りに

歴史の真実性を感じました。



015.jpg

008.jpg

織田家の(五つ木瓜」の家紋です。

016.jpg


一方、明智光秀は、「桔梗紋」


010.jpg





僅か十数日の天下の光秀に

桔梗口の花入れに

白の桔梗と(吹毛の刀の意味の)菖蒲の葉を

さぞ、無念であったろうに

せめて、静かに合掌したいですね。








  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

応援よろしくお願いします。