1582年の本能寺の変は六月二日の未明に起こりました。
諸説ありますが、
織田家の坊守の清玉上人が事件を知り、本能寺に駆け付けました。
信長の「自分の首を明智光秀に渡すな」言葉どうり、家来の武将が
遺体を燃やしました。
上人は、その遺骨を衣の袖に隠し、急いで
自分の寺の阿弥陀寺に持ち帰りました。
その後、秀吉が遺骨を渡すように寺に訪れ、言いましたが、
断じて渡さず、自分お寺で供養し、お墓も建立しました。
今日は、434回忌の法要の日で、
少し汗ばむ本堂に響く読経とお香の香りに
歴史の真実性を感じました。
織田家の(五つ木瓜」の家紋です。
一方、明智光秀は、「桔梗紋」
僅か十数日の天下の光秀に
桔梗口の花入れに
白の桔梗と(吹毛の刀の意味の)菖蒲の葉を
さぞ、無念であったろうに
せめて、静かに合掌したいですね。