光秀饅頭と二本の竹

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「ときは(土岐)は今雨(天)が滴る(治める)五月かな」今朝の未明 明智光秀は京の愛宕神社でこのうたをよみ、本能寺に向かい、信長を討ち、歴史をかえました。。前日には、信長は茶会を開いており、光秀は、連歌会に、二人とも、教養人でも有ったそうです。個性ある二人の武士の強い意志をこの竹で感じてくだされば、嬉しいです。

知恩院のそばの白川沿いを歩いていましたら、「餅寅」という昭和ちっくな和菓子屋さんでこの御饅頭に出会いました。聴けば傍に光秀の首塚があり、この和菓子屋さんが守っていらっしゃるそうです。大変古い小さな祠です。もちろん、御参りさせていただきました。光秀は伏見の竹藪で土民に刺され、家来に「知恩院で灰にし、誰にもわからないように田の中に埋めよ」と。故に、ここに埋葬されたとか。。なぜか?大河ドラマ実現のための、署名活動もあるらしいです。
謎めいた此の二人の歴史のドラマが実現したら、この御饅頭の家紋はもう一つ信長のもいるのでは?




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