荘厳なる善光寺
552年 難波の港に天竺(インド)百済と数々の苦難とストーリを経て
非常に有りがたい仏がたどり着きました。
、蘇我氏や物部氏の争いの末、難波の池に捨てられました。
602年 そこを通りかかった本田善光(よしみつ)氏に背負われ
この長野を衆生の救済の地として落ち着かれた。
寺紋 右離れ立ち葵
徳川家家臣 本多氏の家紋 丸に右離れ立ち葵
いろいろの仮説や謎があり今後、退屈しない課題になりそうです。
ウマノスズクサ科の 双葉葵の葉が
葵 葵と永遠に続いてくれることを願います。