松虫草・・松虫と鈴虫の伝記

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松虫草


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古のむし籠



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秋の装いの えのころ草の茂みに、松虫、鈴虫も 声明を唱えています。



建永の法難


鎌倉時代は、貴族仏教が全盛で 庶民は荒れ狂う戦乱の世に

心の拠り所に仏教をもとめていました。

その頃 京都の鹿ヶ谷の安楽寺に法然の弟子の

住蓮坊と安楽坊という僧侶が住んでいました。

二人のうっとりする声明に、

仏門に帰依する者が大勢いました。

その中に、後鳥羽上皇の側室であった、松虫、鈴虫も出家し尼になりました。

上皇の怒りにふれ、法然は土佐に、親鸞は越後に流され、

ふたりの僧侶は殺され、松虫、鈴虫は自ら命を絶ちました。

数年後、

流刑から戻った法然は嘆き悲しみ、この安楽寺を復興しました。

現在も、11月に法要が勤められています。






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